家に帰り着くまでが旅なのだーピンチは続くよ

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岩間ひかるです。

20年前に体験した人生最大のピンチ。
スペインのアルヘシラスのヒーローたちのおかげで
最大のピンチを乗り越えることができ、
無事に日本への帰路へとついた私。

前回のお話、文章版はコチラ

動画版はコチラ↓

マドリード空港での余韻

あの長い長い夜から一晩明け、
私はマドリード空港にいた。

思い起こせば、往路マドリード空港に降り立った時は
最南端の港町アルヘシラスへ向かうバスに乗るために、
空港から地下鉄でバスターミナルへ向かったのだった。

ガイドブックを見ると、マドリードって要注意。
空港、スリに気をつけろ!
地下鉄、スリに超気をつけろ!

そんなガイドブックの情報を証明するが如く、
地下鉄への階段を降りようとする私がたまたま周囲を見ていると
遠くにいる青年が私をめっちゃ指差している。

(おい、あのアジア人トロそうだから狙っとけ)

って、誰か仲間に指示してる感じ。

おい、まじかよー!
マドリードおっかねぇぇぇぇ!

と思い、いそいそと階段を降りて、地下鉄に乗ったのでした。

それが、1ヶ月半前のできごと。
なんだかいろんなことを、この1ヶ月半で経験したよ。

ホームへの道のり

そんなことを思い出しながら、フライトまでの時間
マドリード空港を徘徊する。

この時私が持っていたチケットは
世界的に夏のバカンスシーズンで全体的に高額ななか、
なるべく安く済ませるために

シンガポール航空を利用して、途中2回乗り継ぐチケットだった。
たしか

成田 ⇄ シンガポール ⇄ チューリッヒ ⇄ マドリード

こんなルートだったと記憶している。

なかなかに汚い格好で、しかもシャワーを浴びることもなく
スイスで乗り継ぎ、シンガポールで乗り継ぎ。

いったい、最初の砂漠の町を出発してから
何日が過ぎたのだろうか。

それでも、家のある日本へ少しづつ近づいていっているという
安堵感はどんどん強まっていった。

そしてやっとのこと、飛行機は成田空港に降り立った。

帰りつきたかったホームに、やっと戻ってこられたのだ!!

荷物は手荷物のバックパック1個だけなので、
出国手続きをして、バゲージクレームを待つことなくゲートを出る。

当時住んでいたのは東京の西の端なので、そこまで電車で帰る。
見慣れた風景、自然と耳に入ってくる日本語。

あ、そうだ。
電車に乗るからATMでお金をおろさないと。

向かったATMで衝撃の事実を知る。

お金がおろせない!

終わっていなかったピンチ

今振り返ると、なぜお金がおろせなかったのだろう。

銀行のキャッシュカードはそもそも海外で使えないから自宅に置きっぱだった?
ゆえに生協のクレジットカード(学生なので)しか持っていなかったが、
そのクレジットカードは、アルヘシラスの夜間タクシー代と
マラガからマドリードへの飛行機チケット代で限度額に達していた。

たぶんこういうことだったんだと思う。

私は、私はせっかく自分の国に着いたのに
自宅へは帰れないのかーーー!!

これは、これはまた
皿洗いで電車代を稼ぐしかないのか私は!!

そう、ピンチは終わったのではない。
まだ続いていたのだ。

その時すでに夜が近かったと思う。
現代のようにスマホで決済っていうかスマホ自体が無かったし、
簡単に送金しあえることもない。

ATMの前でひたすら考えた結果、
ひとつのアイデアが思い浮かんだ。

お隣の席だった女性にお金を借りれないか頼んでみようー

あの方に頼み込むしかない

成田までのフライトで、私の左隣の窓側に座った女性。
乗っている間は全然お話しすることはなかったのだが、
飛行機が着陸して、人々が機外に出るのを待っている間に
少しだけ言葉を交わした女性。

頼めるのは、あの女性しかいない!!

成田空港第一ターミナル内、
電車の乗り場へ通じる通路で、
私はひたすらその女性が通るのを待った。

盲目とはこのことで、
彼女が電車で成田空港を出るという確証は何もない。

車かもしれないし、バスかもしれないのに、
私はひたすら信じて彼女を待った。

するとなんと!
彼女がこちらへやってきたのだ!!

彼女は預け荷物があったので、
荷物を受け取ってから出てきたようだった。

彼女のもとに駆け寄り、
先ほど隣の席にいた者です。
実は自宅へ帰るお金がありません。
どうか、私にお金を貸していただけないでしょうか!

こうお話しする。
今、自分で書いていてゾッとするほど怪しい人ではないか。。。

ところが彼女は、少しの間を置いて
いくらあったら良いのか尋ねてくれた。

「2,000円貸してください」

そういうと、彼女はこの見ず知らずの私に
2,000円を貸してくれたのだった。

本当に本当にありがとうございます!!
必ずお返ししますと伝えて、彼女の連絡先を頂戴した。

おかげで私は成田空港を脱出し、今度こそ自宅へ向かうことができた。

自宅の最寄駅に列車が到着すると、
ちょうど私が降りるドアの前に、友達が立っていた。
彼女は帰宅するために電車に乗るところだったようだ。

その彼女に言われたひとこと。

「あんた、なんて汚い格好してんの〜!」

そう、私は心底疲れ果てていたのだ。

たぶんその時点で、移動を始めた日から数えて3回の夜を超え、
これから4回目の夜が来ようとしていたときだ。

しかしやっと今回の旅が終わったのだ。
これで本当に終わったのだ。

この世界への信頼

卒論の中間発表へ向けた準備のことはまずはさておいて
この数日の疲れをその夜は癒したのだった。

ちなみに、借りた2,000円はその後しっかりお返しした。
たしか丸ビルかどこかのレストランで、一緒に食事をしながら
改めて感謝とともにお金をお返しした。

その時彼女からは、
絶対に返ってこないお金のつもりで貸したんだと聞いた。

たとえ彼女がそう思っていたとしても、
きっと本当に返されなかったら彼女の善意は踏み躙られたことになり
彼女はいくばくか悲しむことになっただろう。

きちんとお金を返すことで
彼女の善意を裏切ることにならなくて、本当に良かったと思った。

この世界は、当時私が思っていたよりも
とても多くの優しさでできているのかもしれない。

そしていま、20年前のこのできごとを思い出しながら
こんなことを思っている。

自分はもっと世界を、社会を信じても良いのかもしれない。

アルヘシラスの夜も、成田空港の電車の時も、
私が心から助けてと声をあげれば
誰かしらは手を差し伸べてくれた。

だから決して、一人で抱え込まず、やさぐれず、諦めずに
心の底から声をあげれば良い。

さすれば、それに応えてくれるであろうという信頼を
社会や世界に持っても良いのかもしれない。

20年前、なりふり構わず行動して経験したこのできごとは
噛めば噛むほど真理に似た味を出してくるなぁ。

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